りんご農家の後継ぎとして生まれながら、従来の生産方法をすべて見直し、独自のりんご栽培の道を築き上げた工藤秀明さん。成果は実り、品評会で最優秀賞の栄誉に連続して讃えられてきました。青森でナンバーワンの名誉を得たりんごは、今では東京のフルーツ店「銀座千疋屋」でも取り扱われています。りんごへの思いなどについて伺いました。
平川市は県下第3位のりんごの産地で、工藤さんは青森県りんご品評会で個人・団体の部ともに第1席(1位)を受賞している。
ー工藤さんのりんごは大変評判です。いったい何が違うのでしょうか。
目指したのは皮が薄くて、食べたときに口あたりが軽くて、あとから香りがふわっとくるりんごです。それがなかなか難しくて。すべて肥料のおかげです。“こいつ”をやると土の中のミミズが増えてくるんですよ。私は何にもしてなくて、あいつらが働いてくれる。私が寝ているときも24時間働いてくれるから(笑)。
ー“こいつ”とは工藤さん独自の肥料のことですね。どうやら秘密は土にありそうです。
山の美味しい山菜を、こっち(畑など)に植え替えると美味しくなくなるんですよ。それがいちばんのヒントだったんです。なぜ美味しくならないのかなと。それで山の状況を畑に作ればいいのでは、と思って研究してきたんですよ。
ーなるほど、畑を山と同じ環境にするということですね。
ちょっと専門的なことをいいますね。山には一般的に10aあたり800kgの微生物の死骸が含まれています。私は骨粉や魚粕など10種類以上の天然の肥料を入れて、土の中に有機アミノ酸を発生させました。これが旨味成分なんです。そこにマグネシウムを補うと微生物が集まって死骸が自ずと増えてくる、それが山と同じような状況になるということなんです。
ーお伺いしていると簡単に聞こえますが、ご苦労はあったでしょうね。
試行錯誤の連続です。いちばんは素材の分解スピードにあわせてそれぞれの量を調整することでした。すると健康な畑を保てるから、作物にストレスをあたえずにすみます。結果、霜にも負けない大きな花芽がつき、彫りの深い赤いりんごが実ります。
ーところで工藤さんは代々続くりんご農家ですが、前々から承継は決めていたのですか。
一人息子ですから意識しないまま、やるもんだと思っていました。高校卒業後にりんご研究所で2年間学び就農しましたが、やるからには一番になろうと思いましたね。父から教わった慣習も知ってるんですけど、私は方法に疑問を持ってたんですよ。これだと一番にはたどりつけないと思いました。そこで大学などいろんなところに勉強しに行って、土や肥料、病気のことなどすべてにわたって勉強し直しました。その答えが先ほどお話した、肥料や土です。
ー青森県のりんご品評会で第一席に輝いたのち、2015年から『銀座千疋屋』との取引がスタートします。どのように始まったのですか。
団体の部だけでなく、個人の部でも農林水産大臣賞をもらうようになってから「銀座千疋屋」さんにこちらから連絡をしました。「青森県で一番のりんごがありますよ。海外に売ってもいいですか」と。買ってくださいと言わずに、「国内で一番いいものを海外に全部いっていいんですか」って。そのあと商談が始まりました。ちょっと上から目線に見えたかも知れないけど(笑)。
―ブランディングの参考にもなります。背景にはどんなお考えがあったのですか。
前々から業界のトップから攻めようと考えていました。いちばんいいところに認めてもらえれば、自ずと評判も広がって行くだろうと思ったんです。農林水産大臣賞などを目指してきたのはそのためでもありました。青森県ナンバーワンの地位を確保してから、ということですね。
ー実績を積んで、満を持した状態で踏み出されたのですね。そして2021年には「釈迦」というりんごが誕生しました。こちらも「銀座千疋屋」で販売されています。
はるかという品種です。ラ・フランスのようにサビがあって、外観はあまり良くない品種です。普通は袋をかけて育て、糖度は20度ぐらいまで上がります。しかし『釈迦』は袋をかけません。形は小さくなるけれど味を凝縮させて24〜25度まで糖度を上げることに成功しました。販売にあたってはうちの社名である『釈迦』がそのまま商品名となりました。これは珍しいことなんですよ。
ーそもそも『釈迦』という社名は印象的ですが、由来をお聞かせいただけますか。
釈迦の教えの一つである“ゼロから生き方を見直す”ってところに感銘を受けて、社名にさせていただきました。
ー工藤さんのりんごのファンは全国にいるそうですが、どんなお声が届きますか。
食べて感動したとお礼の言葉をいただくことが多いですね。『釈迦』という社名のせいか、高齢の方にもウケがよくて。話をしたいと言ってくれるばっちゃんも多いんですよ。うれしいです。そんな言葉を聞きたくてがんばっているのかな。りんごと一緒の写真が送られることもあります。
ー気持ちが伝わってきますね。ところで品評会への出品の資格は、息子さんに譲られたそうですね。
はい。しかし一番をとらないと息子は七光りで終わります。じっちゃんも私も1番がとれた。ここで息子がとれないと生き恥をさらすわけですから、必死に勉強してましたよ。
ーそして見事に、品評会で評価を得ました。
よかったです。息子には『挑戦者ってことを忘れんなよ』とよく言っています。それがなくなった途端に、品質はこうなって(下がって)しまうと。
ー工藤さんは息子さん以外に、若手後継者の指導にも熱心に取り組まれています。
若手に限らず、先ほどのノウハウはすべて教えています。他県からの視察も多いですよ。情報を共有したいからです。若手については、周囲が伸びれば息子にもいいライバルにもなるでしょうね。でも息子は私が同じ年齢だったときに比べると300点です。よくやっています。
ー若い世代に伝えたいことはありますか。
実はコロナ禍がなければ今ごろタイでりんごを作っているはずだったんですよ。中断していますけど、進めていきたいです。あとは後輩育成ですね。みんな高い車に乗っているけど、売って畑に投資しろ、と言っています(笑)。今は次の世代の成長も大変楽しみです。
【編集後記】
ORECと工藤さんとのお付き合いが始まったのは5年前。実は2年前に発売した「RMK180」は工藤さんのアドバイスから開発が始まった製品なのです。工藤さんが弊社社長の今村に直談判をしたのがきっかけ。工藤さんがいなければ、RMK180は誕生していなかったかもしれません。農家さんのお役に立てる製品が生まれるのには貴重なご意見が欠かせないものだと改めて感じました。