小野寺喜作さんは奥様とともに野菜の宅配など、長年、先駆的な取り組みをされてきました。有機農業を始めたのも早く、現在は「やまがた有機農業の匠」として後身の指導にもあたっています。今回は有機農業にかける思いを中心にお話を伺いました。
ー1986年(昭和61年)に「たべものを考える野菜の会」という野菜の宅配をご夫婦で始めたと伺いました。きっかけは何だったのでしょうか。
子どもがまだ小さいころで、親しい方から、うちでつくっている野菜を分けてもらいたいと言われたのがひとつのきっかけ。母ちゃんたちのお小遣い稼ぎもあったかな(笑)。
ー宅配を始められて3年後には、有機栽培を始められました。何かきっかけがあったのですか。
協同ファームの交流会で有機栽培について学びました。また、生協などの団体でも安全な食べ物への熱が高まってきた時期でした。最初は反発して、文句いわずにおいしいから食べて、と言ったりもしてたこともあったけど(笑)、学習会でダイオキシンや環境ホルモン、遺伝子組み換え作物のことなどを勉強するうちに考え方も変わってきて。うちの母ちゃんも農薬を浴びるのはいやだと言うようになり、私自身も農薬の影響で具合が悪くなったことがあってやはり、これはだめだなと。
ーそんなことがあったのですね。小野寺さんの有機栽培は”土”にこだわり、自家製のぼかし肥料を作って混ぜていると伺いました。ぼかし肥料にいきついたきっかけを教えて下さい。
最初は農薬を使わなければいいとやっていたけど、次第に土づくりの大切さを肌で感じたのが一番の理由だったかな。健康な土というか、作物がすくすく育つ土を作らないと、味でも病気の面でも問題だなと感じていました。有機だからといって有機肥料を入れすぎてむしろ害になるということもあるんです。それでぼかし肥料を大量につくるようになりました。最初は試験的にやってみて、やはりこれは大事だと思い始めてから本腰を入れ始めました。枝豆の枝や根などの処理に困っていたこともあったんです。枝豆は根っこから全部引っこ抜いて入れるから豆も根も入る。根粒菌も入るから絶対これはいいなと思って。
ー根粒菌?初めて聞きました。
豆の栽培ではわざわざまぶしたりする人もいるほど根粒菌は大切なもので、根粒菌があると順調に成長します。根粒菌をつけたほうがおいしい豆ができて肥料も少なくすみます。
ーなるほど。根粒菌が大事な役割を果たしてくれるんですね。実際にぼかし肥料を触らせてもらいましたが、ほかほかしていてビックリしました。
発酵させるから冬でも60℃ありますよ。あったかいんですよね。枝豆を収穫したあとで出る枝や葉、根っこ野菜、雑草などいろんなものが入ってます。堆肥化したものに米ぬかと種菌を入れて発酵させます。種菌は孟宗竹の竹やぶからもらったのが最初。竹の葉などが分解するときの菌ね。
ー実際にぼかし肥料を使ってみて変化はありましたか。
ぼかし肥料を入れて年数を重ねるごとに、虫の被害がなくなったかなと思います。食味でも高い値がでるようになってきて。最近ではほかの有機肥料も入れずに、ぼかしだけでも十分かなと思うようにもなってきたかな。やはり目指すのは自然であること。そこまでいけたら最高でしょうね。
ー現在は有機という言葉が段々と世間でも認知されてきましたが、小野寺さんが有機栽培を始められた頃は認知度も低く、有機栽培を受け入れられるまでには様々ご苦労があったのではないでしょうか?
虫は湧いたし、雑草はすごいことになった。草とは闘いでした。枝豆の畑も田んぼもそうでした。まわりからは虫や病気を全部つれてくる、と文句も言われたり。村八分に近いようなときも当然あったかな。でも出る杭は打たれるけど出すぎてしまえばいいって、何をいわれようと母ちゃんとそう言いあって乗り越えてきました。
ー大変だったかと思いますがのちに有機JAS認証も取得されたそうですね。
2000年(平成12年)に有機JASの認証制度が始まりすぐに取得しました。有機栽培で育てていると販売先も安定してきます。値段もこっちで付けられますしね。何より、農薬には害があって環境にも悪いので罪悪感がありましたが、それがなくなってほっとしています。
ー今では息子さんが跡を継いでいるとか。
関東方面に行っていた子どもたちが鶴岡に帰ってくることになり、農業をやることになったとき、有機農業でなければだめだと。農薬を散布するんだったらやらなくていいと言いました。私たちがやってきたこともあるけれど、今後、農業を盛り上げるには、環境負荷をかけないような農業を後継者にもっとやってほしいなという気持ちがあります。でもなかなか難しい面もあるでしょうけれど。
ーずっと有機栽培を貫いてこられた小野寺家ですものね。ご家族といえば、とれたお米や野菜が食べられるレストランや民宿も人気だと伺いました。
食材は当然、有機栽培のお米や野菜を中心に提供しています。自分で育てた有機作物を最初は中々食べてもらえなくて。そこで、レストランで実際に自分が育てた野菜を食べてもらいたいと、思ったのがきっかけで始めました。それに民宿をやっているとお客さんとの交流が楽しいですね。リピーターの人も親戚と同じになる。
ー最後に小野寺さんにとって、農業とは何でしょうか。
農業というよりも、百姓という考えでいます。百姓をするのは食べものをつくるだけじゃなくて生活のいろんなことにつながっている。豊かさって何なのかなというのを考えたときに、農業がいちばん近くて、それが大事な面ではないかと思っています。
【編集後記】
今回取材させていただいた場所はレストラン「母家」。築100年以上経つ建物はどこか懐かしさを感じる空間でした。小野寺さんは写真の通り、笑顔が素敵で、物腰が柔らかく、優しいお人柄ですが、昔は農業のことになると、他の農家さんとケンカをすることもあったと聞いて驚きました。でも自分の信念を持ち続けることは、容易ではないですよね。私も一社会人として小野寺さんのように信念を持った人生を歩みたいと思いました。